2016年2月29日

管原英基さん マジックショー

2月21日に一関の藤の園で菅原英基さんのマジックショーが行われました。


平成28年2月24日の岩手日日より

笑顔のマジック
藤沢出身菅原さん子供たちに披露

 一関市藤沢町黄海出身のプロマジシャン・菅原英基算(48)を招いたマジックショーが21日、同市山目の児童養護施設一関藤の園で行われた。菅原さんは、トランプやひもなどを使った多彩なマジックを次々と披露。子供たちにマジックの魅力を伝えた。
 菅原さんは県立一関一高卒。首都圏の大学を経て1989年から、世界一周クルーズなど豪華客船に数多く出演する日本初のクルーズシップマジシャンとなり、世界各地を飛び回っている。
 紛争地では木の実や葉っぱなどを使ったネイチャーマジックで人々を楽しませ、国内のファッションイベントなどにも出演。企業活動、幼児教育にマジックを生かしたセミナーを開くなど、国内外で活躍している。
 今回は、全国的に活躍する一関出身者を市民に紹介している「一関きらり☆メッセージ」実行委員会(熊谷博伸委員長)が企画。市地域おこし事業の一環で菅原さんを招いた。 
 同園の子供たちや職員、関係者約50人が見守る中、菅原さんは新聞紙からペットボトルが出てくる芸や、ひもやトランプを使ったマジック、点火後にバラが出てくる大技を次々と披露。子供たちは夢中になって見入り、「わぁー」「すごい」と歓声を上げていた。
 菅原さんは、子供たちに紙コップを宙に浮かせるマジックを伝授。マジックらしい見せ方も教え「すぐにタネ明かしすると寂しくなる。タネは大切にしてほしい」と呼び掛けた。
 世界中を旅した経験から「アフリカの戦地では爆弾で人が亡くなっている。そこでマジックをすると、みんな目をきらきらさせて見てくれる」と語り、「マジックで人に笑顔になってもらうことができる。皆さんも友達が傷ついたり落ち込んだりしていたら、マジックを使って元気になってもらい、大事なことを伝えてほしい」とメッセージを送った。

2016年2月25日

巻頭言 

一関に過ぎたるもの二つあり  時の太鼓と建部清庵
その弟子 大槻玄沢、その子 磐渓、孫の冬彦と続く大槻三賢人
和算の天才 算術指南役 千葉胤秀
講道館柔道十段 柔聖 三船久三
一関は文武両面において、多くの偉人を輩出し、また縁してきました。
元日本ペンクラブ会長 巨匠 井上ひさし
直木賞作家 色川武大にして、雀聖 阿佐田哲也
『破戒』『夜明け前』を著した文豪 島崎藤村
多くの文化人が一関を通り過ぎ、終の住み処となりました。
そして現在・・・。
ミュージシャン、アイドル、編集長、イラストレーター、プロレスラー、女優、ダンサー・・・。
一関から煌めく才能が陸続と誕生しております。そんな今、歴史を作っている星々から、君に贈るメッセージ
聞け、驚け、そして堪能せよ諸君!
次の世代を創るのは君たちだ。

2016年2月14日

岩渕敏郎 講演会

破天荒公務員奮戦記! なぜ人は動いたのか?




平成28年2月10日、東京都千代田区神田錦町において、「一関市の地産外商の取り組み」と題して、一関市農林部次長兼農政課長の岩渕敏郎氏の講演が行われました。


私どもの住んでいる一関市は岩手県の一番南、宮城県に接している場所です。岩手でも二番目に大きい市です。人口は十二万ほどです。
私は地産外商ということで、首都圏で今まで、いろんな取り組みをしてまいりました。
経緯を話しますと、ある時、市長から特命を受けまして、地産外商をやれ、ということを言われたんです。「ところで、地産外商ってなんですか?」と市長に聞いたら、とにかく首都圏で一関の知名度を上げることなんだ、と・・・。
ただ、具体的な指示はないんですよ。これぐらい無責任な指示はありませんね。(笑)
「農産物、観光、全部売ってこい」とんでもないですよね。全てのものの知名度を首都圏で上げてこい、という究極の指令ですよ。(笑)
マニュアルがないんです。いわば、お前のやりたいようにやっていいと、特権をもらったんです。
行政で一番大切なのはスピード感です。その話があったのが三年前・・・。
それで、どうしたらいいかと思って、考えたところ、首都圏では一年通して一関のパンフレットを置いたことって、ないんですよ。岩手のアンテナショップにパンフレットが置いてありますけど、岩手中から集まるから、一関の色が薄れちゃうんですよね。競合しないところに置いた方がいいだろうと。そこで、パンフレットラックを買って、コンビニに置いてもらおうと、首都圏のコンビニを回りました。
そのうち東小金井のファミリーマートのオーナーが、地域活性化のためとは面白い、ということで、ラックを置かせてもらって、そのオーナーさんの友人を紹介してもらって、次第に広がっていきました。今は22店舗ぐらいに増えました。
そのうち、その東小金井のファミリーマートのオーナーさんが六本木に肉屋格之進という一関産のおいしい肉を出すところがあるぞ、と言われたんですが、私はそのお店を知りませんでした。千葉祐士社長との運命的な出会いでした。一関にはいわて南牛というのがあるが、これでイベントができないだろうか、というのを持ち掛けたんです。ただ、まとまるには二か月ぐらい、かかりました。経営者ですから、そう簡単に決めるわけには、いかないんですね。
そして、記念すべき第一回目のイベント「うまいもんまるごと一関」というイベントが始まったわけです。ただ、イベントに呼びたいといっても、コネがないわけです。ふるさと会の人を呼んでも、何にもならないんです。一関を知らない人に知ってもらわないと。それで千葉社長に上得意名簿を見せてもらって、その中からお客様を選んだんです。
イベントというのは第一回目が大事なんです。ここでコケたら、二回目、三回目はないんです。なぜ、こういうことをやったかというと、地方自治体と首都圏の交流というと、一年に一回、野菜を持って売るだけなんです。これは意味がないと思うんです。生産者が対面で物を売るといい、というんで、トラック一杯に生産物を積んで首都圏で売る、これは後に続かないんです。買う人は優れた生産者に会おうというわけではなく、ただ物が安いから買うだけなんです。
「うまいもんまるごと一関」のイベントでは二時間ぐらい、どうやってこの農産物を作ったかということを、滔々と生産者が話すんです。その時のお客様が一関を応援する組織を作ってくれるわけです。もう15回、やってるんですけど、新規のお客様を65%ぐらい伸ばしながら、イベントを続けてます。こんなイベントを運営しているのは、全国の自治体にも、ないわけです。
後は近助の精神です。震災では宮城の気仙沼も被害を受けたわけですけど、岩手と宮城では対応が違うんですよ。ただ、私の住む千厩は一関より気仙沼の方が近いんです。そこで気仙沼の物産も売ってあげましょうと。
そのうちに強力な「一関市PRサポーター」ができまして、銀座の店舗を借りて「復興バー」を作って、一関の食材をPRしたんです。一関市に縁もゆかりもない人たちがサポートしてくれたんですが、その活躍がSNSなどで一関市の在京者に伝わって「一関平泉大学」という若者が中心の実行部隊ができました。

お客様に聞いたことがあるんです。「なぜ皆さんは一関のために、こんなに動いてくれるのですか?」と、そうしたら「岩渕さんは一関と私たちの関係を他人事から自分事に変えてくれた」と、返ってきました。
私は手を抜かない、気を抜かない、ということをモットーにやってきました。そして楽しみながらやること、これが大事なんです。こういう心が人に伝わって、道は拓けていくのかなと・・・。
とりとめのない話ですが、ご静聴ありがとうございました。

2016年2月11日

吉野崇さん インタビュー

シンガーソングライター、運動療法士、和菓子職人で、現在、平泉駅前の和菓子店『吉野屋』の四代目店主の吉野崇さんを紹介します。


[CD]ソングス
   あぜ道小道
ソングスに収録されている「大根コン」が、NHKのみんなの歌に採用された事で、注目を集める。

以前、watoさんにインタビューしたんですが、その際平泉駅前の吉野屋さんで、watoさんの一高時代の同級生と三人でコンサートをするという話があって、えっ、まだ一関にそんな人がいるの? と驚いたんですが・・・。

ピアニストの岩渕純さんと、シンガーソングライターの吉野崇さんですね。

吉野さんは一高を卒業されて大学はどこに行ったんですか?

山形大学ですね。途中編入という形でイリノイ州立大学へ。山形大学は休学という形だったんですが、結果的には辞めることになって、イリノイ州立大学を卒業した後、一年間仕事して、六年経った後、日本に帰ってきました。

音楽をやってたというわけでは、ないのですね。

そうです。うちは母が運動療法士をやって、父が和菓子職人をやっていて、アメリカには人間学を学びに行ったんです。人間の心理や素晴らしさを学びに山形大学に入ったんですが、授業は黒板に書かれたパラグラフを読んだり書いたりするだけで、つまらなくて(笑)それで、イリノイ州立大学に見学に行ったら、先生が素晴らしいんですね。大学には好きなアイスホッケーのチームもありましたから、転入するにはどうしたらいいんだろうかと・・・。この時、一番勉強しましたね。(笑)大学を卒業した後は人間学を生かしたトレーナーや山岳監視員の仕事をしました。あとは子供たちにボディワークやアイスホッケーのコーチをしたり、オーガニックのパン屋さんで働いたり、充実した毎日を送っていました。

音楽との出会いは何だったんですか?

私の母がリズム体操を講演していたんです。保育園や親子の会などで、体操したりしますよね。ええ。体育館で千人ぐらい集めて講演する時に、姉の同級生の古川 大(こがわ たかし)さんなどがピアノを弾いて、母のサポートバンドをしていたんです。私は、最初は母のサポートで「ここで後ろに回って」みたいに指示をするだけだったんですが、お年寄りや子供たちの前だと、バカが出来ないとダメなんですね。バカというのは、歌を唄ったり、お芝居をしたりということです。それで人前で歌を唄うように、なったんです。ハミングが得意だったので、曲を創るようになって、ピアノを弾いていた古川さんにこの曲を弾いてよと言ってるうちにコンビを組むようになって、今に至るというわけです。アメリカのホームステイ先の方がジャズが好きで、よく聞いていたんです。日本とアメリカの音楽がブレンドされたのがよかったんでしょうね。

NHKのみんなのうたに「大根コン」が採用されたのは?

いい質問ですね。いきなり、歌を唄えと言われても、歌えないんですよ。恥ずかしくて・・・。やはり、持ち歌みたいなものがないと。それと日本に帰って来た時、平泉が合併問題で揺れていたんですよ。コミュニケーション能力が低いな・・・。世界遺産の平泉は平和思想なのに何だろうな?と。それで、平泉らしい歌を創ろうと思って、キラキラした大人の歌を作りました。それが大根コンです。

レコーディングはどうしたんですか?

水車プロジェクトを立ち上げてる岡淳(おか まこと)さんという、有名なジャズのテナー・サックス奏者の方がいるんですが、この方が「MOCK HILL RECORDS」というレーベルを運営しているんです。そこから、CDを出すことになって、録音機材を持ってきてくれましたね。

「いーはとーぶ音楽祭」というコンサートを吉野屋でやってますよね。これについては?

平泉の世界遺産は仏教というわけではないです。藤原氏が平和を希求した結果、選んだ道が仏教なわけです。この浄土思想を基調にした文化を創り出していかなくてはならないわけです。その文化を広めるためにコンサートを企画しました。年二回、七年が経ちました。岩手出身ではないと、参加できないというわけでは、ないですよね。そうですけど、やはり地元の方が多いですよね。アメリカに行った時感じたんですが、アメリカの音楽がなぜ世界ですぐにヒットするかというと、庶民が地元の音楽家を育てているわけです。投資してるんですね。投資された音楽家は地元でコンサートをして、それを聞いた人の中からまた音楽家が生まれる。こういうイベントを通して、そういうシステムを作っていきたいと、思っています。素晴らしいですね。

審査とかあるんですか?

ないですよ。ただ、参加料が五百円かかります。それとお菓子の売り上げの一部を基金にして、クラシックやジャズのコンサートを開きます。生で音楽を聴くと、迫力が違うんです。そういう場にしていきたいですね。

watoさんとは同級生だったんですよね?

同級生どころか同じクラスであ何度も隣の席でしたよ。岩渕純とも同じクラスでした。ハワイアンの歌手のアネラさんもクラスは違ってましたが同学年で、私が演奏しているウクレレはアネラさんが選んでくれた物です。

何と!そういう事もあるんですね。どうして、一関市から、こんなにクリエーターが出てるんですかね?大槻三賢人が関係あるんですかね?そもそも何で、平泉に黄金文化が花開いたんでしょう?

藤原清衡公は十二年間、戦を続けていて、平和な道を模索して、日々、悶々としていたそうです。そこで仏教に出会って、仏教を基にした都市造りをして、そこに黄金や人材が集まってきたと、そういう事ではないですかね。

これからの夢とかはありますか?

平泉にゆかりの表現者たちを集めて、イベントをやったりして、空洞化になっている平泉の駅前に人を呼んで、祭と連動する形で新しい街づくりをしたいですね。