2015年3月29日

MIST AIさん インタビュー



本日はロックバンドMISTのボーカルで一関出身のAIさんを紹介します。

3月10日のワンマンライブの後、インタビューしました。
ミスチルが好きで、ミュージシャンになったと、前回のインタビューにありました。
ああ、そうですね。初めて買ったCDがミスチルのシーソーゲームでした。
小学校や中学校はどこだったんですか?
薄衣小学校で川崎中学校、高校は前沢高校に行きました。前沢高校は岩手ではバドミントンのインターハイ常連校で、私はバドミントンが好きだったので、前沢高校に進みました。インターハイには出たんですけどね。
すごいですね。
でも、音楽がやりたくて東京の音楽系の専門学校に入りました。最初は一人で、路上ライブをやってたんですよ。
弾き語りですか?
はい、そうです。ギターで弾き語りをしていて、今のMISTのバンドのギターやってる人から、新しくバンドをやるから、ボーカルをやらない? と誘われて、そこからMISTが始まりました。
初めは嫌だとは思いませんでしたか?  
最初は練習だと思ってたんですよ。でも、バンドの方が楽しくなって、しかもCDを出すことになったので、こっちの方がメインになりましたね。もう一人で歌う事はなくなりました。ツイキャスって、ありますよね。あれで、たまに弾き語りするぐらいですよね。
事務所には所属されてるんですか?
預かりという感じですね。do myselfといって、一千枚以上売ると、全国流通、出来るんです。昨年は届かなかったので、今年は二年目ですね。
それは全国のCDショップに置いてくれるということですか?
そうですね。そうなると知名度が上がるんです。
そうなると、いいですね。YOU TUBEでは流してないんですか?
曲の一部は流してますよ。WONDERLAND MISTとかで、検索してもらえると出ますよ。
よく分からないのですか? MISTが結成されて何年目なんですか?
四、五年目ですね。ソロ活動を三年やって、それからずっとMISTですね。
一関市のコミュニティラジオ、FMあすもで番組を持ってますよね。
ええ、MISTEC RADIOですね。
火曜日の朝九時からですから、なかなか聞けなくてすみません。
朝、早いですよね。(笑)
どうして、ラジオの話が来たんですか?
以前、FMあすもさんに出演した時に、千葉局長さんと私の父が知り合いで、それでいろいろ話してるうちに、fMあすもさんのイベントに出るようになって、花火大会とか。去年の秋ごろ番組改編があって、番組をやりませんか、と言われて。ですから、あすもさんのイベントには、よく出ていますよ。
今度、番組に呼んでください。(笑) 一関出身のクリエーターの方にインタビューしてるんですが、一関市民には知名度がなくて、ですね。
ツイッターの一関きらりメッセージで佐藤正樹さんがアニメーターなので、私たちの曲をアニメに使っていただけないかなと思いまして、連絡した事があります。
そうですか。彼はトムス・エンタテインメントのチーフ・アニメーターですから、いい返事があるでしょう。
それと私たちのミニアルバムの制作に携わっていただいたサウンドプロデューサーの方が最後の曲のダリアをオーディションに出してみない、という話がありまして、その曲も佐藤さんに聴いてもらえないかと思いまして。
知りませんでした。そんな話があったとは・・・。あの、きくち伸って、知ってます? フジテレビの音楽プロデューサーの去年、FNS音楽祭のチーフ・プロデューサーをやったりしたんですが。
知ってますよ。
彼も一関出身で一関一高で私の同級生でした。
ええっ!
一関きらりメッセージを私と一緒に運営している熊谷ときくちさんが仲が良くて、正月に会ったりしてるらしいんです。二人とも千厩ですから。
そうなんですか。(笑)
今度、彼にもインタビューしようと思うんです。その時にはMISTさんの話をしようと思ってます。
ぜひ、お願いします。
今後の目標とか、ありますか?
四月に一本だけ、ライヴをやって、五月は地元のイベントとライブを中心にやります。後はミュージック・ビデオを撮ろうと思ってます。そのための楽曲製作をじっくり、やっていこうかなと思ってます。まだ集客力が弱いので・・・。今、ネットがメインの社会になってるじゃないですか。そういった所から責めていって、実際にライブにも来てほしいです。ミュージック・ビデオの仕事などをしながら、オーディションやライブの仕事をしたいですね。東北のツアーにも行ったんですよ。
FMあすもさんのイベントもやってますものね。
旧ダイエーの前でコンサートをやったり、花火大会のラジオの中継でライブをやらせていただいてます。
ご両親の反対はありませんでしたか?
ありませんでしたね。自分で決めたんなら、やりなさい、と。学費も自分で出しましたから。
えらいですね。
自分でやりなさい、と言われたので。(笑)
最後に一関の方たちにメッセージをお願いします。
いつもMISTのライブに集まってくださったり、MISTのラジオを聴いてコメントをくださってる方たちに・・・。一関市の皆さんがいたから、私が今、東京でがんばれています。わざわざ一関から東京にライブを見に来てくださる方もいるんですよ。すごく、嬉しいです。
一関在住の方がですか?
ええ、そういった人たちに感謝しながら、これから歌っていきます。また、一関の皆に私の元気やメンバーの元気を届けたいです。もっともっと有名になったら、私が一関への恩返しとして、一関を広めていきたいな、と思ってます。これはメンバーも同じ考えです。
今日はどうも、ありがとうございました。
こちらこそ。
















2015年3月23日

島地勝彦さん インタビュー

本日は元週刊プレイボーイ編集長、集英社インターナショナル社長、現在はエッセイスト&バーマンの島地勝彦氏を紹介します。


〈経歴〉
東京都奥沢に生まれ、四歳で一関市に疎開、中里小、中里中、一関一高、青山学院大学
〈著書〉
 『甘い生活』 講談社
 『えこひいきされる技術』 講談社
 『乗り移り人生相談』 講談社
 『愛すべきあつかましさ』 小学館
 『人生は冗談の連続である』 講談社
 『知る悲しみ』 講談社
 『はじめに言葉ありき おわりに言葉ありき』 二見書房
 『お洒落極道』 小学館
 『異端力のススメ』 光文社文庫
 『迷ったら、二つとも買え!』 朝日新書
 『バーカウンターは人生の勉強机である』 ペンブックス
 『蘇生版 水の上を歩く? 酒場でジョーク十番勝負』 CCCメディアハウス



よろしくお願いします。

こちらこそ。

島地さんは一関一高時代、作家の山川修一さんと同人誌を作っていたと、聞きました。

ええ、彼は私たちより四、五歳上でね。大人でしたね。

四、五歳上?

身体を壊していたんじゃないかな。それで、進級が遅れたんですね。

どんなものを書いていたんですか?

小説ですよ。ふふっ、恋愛小説で、ガリ版刷りで印刷して本にして売ってましたよ。

売っていた? お金はどうしたんですか?

全部、呑んでしまいましたよ。

これは個人的に聞きたい質問ですけど、週刊プレイボーイに本宮ひろしさんの『俺の空』という作品がありましたよね。旧制一高の格好で日本中を旅するという漫画ですが、島地さんのアイデアだったんですか?

その作品が終わった頃、副編集長になりましたからね。ノータッチですよ。ただ、本宮さんとは仲が良くて、週刊プレイボーイに俺の空 番外編」を頼んだら二つ返事で引き受けてくれましたよ。

小峯隆雄さんについてもうかがいたいのですが。

内藤陳さんの深夜プラスワンというお店が新宿ゴールデン街にあって、私の隣で呑んでたの。面白いやつだと、編集部でバイトに雇ったんですよ。今、つくば大学で非常勤講師をやってます。どうやって潜り込んだんだろうね。(笑)

つくば大学、優秀ですね。小峰さんは週刊プレイボーイの編集者というのを前面に押し出したタレントでしたが、島地さんのプロデュースだったんですか?

いや、違いますね。11PMやオールナイトニッポンに出てましたが、そこ止まりでしたね。もうちょっと、上に行くと思ったんですが。(笑)

いえいえ、私は小峰さんの大ファンでしたよ。オールナイトニッポンは、よく聞いてました。(笑) ところで、一関一高時代の武勇伝を聞きたいのですが。

高校二年生の時から、バー通いをしていました。そうしましたら、一関一高の校長に怪文書が出回りましてね。島地がバー通いをしていると・・・。

それは大変だったでしょう。

ええ、大島先生に呼ばれて、「君はバー通いをしているそうじゃないか。もし本当なら、退学か転校だな」みたいな事を言われて。その時はシラを切りましたよ。証拠がないんですから・・・。その時、私の父は一関小学校の先生をやってたんですよ。それで、大島先生に「考えてみてくださいよ。私の父は小学校の先生ですよ。バーに行くお金なんて、ないですよ」って、言ったら、それもそうだなって、納得してくれて、『不問に付す』と。それが、現在はバーマンになってるんですから、面白いでしょう。その十年後ぐらいに同級会があって、大島先生は県の教育委員長になられてて、その席上で「君は本当はバーに行ってたんだろう」「いえ、ただの風聞です」と・・・。大島先生は、まだ覚えてました。私が思うには、大島先生は知ってたんだと思いますよ。それでも、知らないふりをしてくれて、感謝しています。それが一高時代の最大の思い出ですね。ただ、一高時代は文学青年で本ばかり、読んでました。

私と一緒ですね。

サマセット・モームの全集を持っていて、全巻、読みました。非常に影響されました。あの皮肉っぽいところが・・・。

私は『月と六ペンス』読みました。

そうですか。六ペンスは指輪にしてます。ペンダントは二千三百二十年前のアレクサンドロス大王の銀貨です。国を征服すると、兵隊に給料を渡すために作ったお金です。シリアの砂漠でアメリカの有名な考古学者が、この銀貨を見つけたんです。あまりに綺麗だったので、本当はミドル・ピース以上は献納しなくてはいけない決まりになってるんですが、一個位いいだろうと、ポケットに入れて持って帰ってきたんです。その考古学者の息子が考古学にあまり興味がなくて、父親が亡くなった時に、その銀貨をネットオークションに出したんです。私のファンがそれを落として、持ってきたんです。『アカの他人の七光り』という私の著書にアレクサンドロス大王の伝記を書いていますが、それをその人が読んで私が持っているより、島地さんが持っている方がいいでしょうと・・・。私が死んだらお返しします、ということで永久貸与です。このネックレスが月で、指輪が六ペンスという見立てです。他にはバルザック、スタンダールとか、読みました。

スタンダール、『赤と黒』ですね。

その『赤と黒』を夜の二時頃、読み終わりまして、その頃は一関駅前に住んでいて、「この街にはレナール夫人は、いないなあ」と、叫びながら、歩いたのを覚えています。(笑)私は高校時代、原書で読めるぐらい英語が得意でして。柳瀬という英語の先生がいたんですね。その先生に影響されて、いろんな本を読んでいたんです。一関一高は私にとっては、青春でしたね。

スポーツはやられていたんですか?

いえ、全然・・・。部に入って、先輩、後輩といったものが苦手でしてね。

大学は青山学院大学ですよね。そこでも、スポーツはされなかったんですか?

ええ、全然。スポーツらしいことといえば、私は二十五で編集者になりましたが、担当になった柴田錬三郎さんにゴルフをやれ、と言われて、ゴルフを始めたぐらいですね。

そうですか。伊集院静さんが、島地とゴルフをやって賭けたら、島地の右に出るものはいないぞ、とか何かの本に書かれていましたが・・・。


伊集院さんがオーバーに書いているだけで・・・。それに私にギャンブルの才能はありません。


ギャンブルはされた事はないんですか?

編集部は皆、ギャンブルをやりますよ。オイチョカブ、ドボン、麻雀・・・。私は柴田錬三郎さんの担当になった時、京都の偉い易者に運勢を見てもらったんです。その頃、私は歌がダメだったんですよ。流しがギターを弾きながら、それに合わせて歌を唄う、今でいうカラオケみたいなものが、呑みに行くとあったんです。編集長になると「お前、歌え」と言って、歌わなくていいんです。それで、早く編集長になりたくて、占ってもらったら、「あなたは十分編集長になれるし、社長にもなれる。ただし一つ条件がある。今日からギャンブルをやめなさい」それ以来、ピタッとやめましたよ。そうしたら、週刊プレイボーイ、月刊プレイボーイ、Bart、三誌の編集長になりましたし、集英社の関連会社ですが集英社インターナショナルの社長にも、なれましたその易者の言うことは当たっていましたね。人生は運と縁とセンスですよ。

努力、根性、ではなくて・・・。(笑)

いやいや、運ですよ。まあ、毎週、五十二、三万の部数だった週刊プレイボーイを百万部にしたのが、私の唯一の功績ですね。

実は私、高校を卒業した後、国鉄に行きまして、車掌になって、盛岡、青森間を行ったり来たりしてたんですよ。キヨスクに週刊プレイボーイが売られてまして、乗務するたびに、それを買って帰るのが楽しみだったんです。

私が編集長をやっている時ですか?

まさにその時期です。百万部の読者の一人は私なんです。

はははははっ、そうですか・・・。

くだらない企画がたくさん、ありましたよね。(苦笑) 五月みどりさんとか・・・。

はい、五月みどりさんが童貞と混浴するという、『童貞混浴セミナー』ですね。

よく五月みどりさんがOKしましたよね。

私が口説いたんですよ。でも、最初は水着で入ると思ったんですよ。そうしたら全裸で入ってくれましたよ。

そうだったんですか?

ええ、そうですよ。連載は五回ぐらい、やりました。毎週、三千通ほど、全国の童貞の方から応募があるんですよ。学生が多かったですね。学生を読者に取り込んだことで、部数が百万部になったんです。我々のコンセプトは話の分かる兄貴になろう、ということでした。良いことも悪いことも、面倒をみようと・・・。それが成功したんですね。

私も大いに勉強させてもらいました。(笑)

ハハハハハッ、東大法学部で童貞という学生が応募してきて、いずれ裁判官になるから採用すれば、将来、週刊プレイボーイに何かあったら、惻隠の情で助けてくれるんじゃないか、というので、採用したこともあります。『小泉今日子さんのヌード以上』という企画もありました。

私はその企画に騙されましたよ。(笑) あの頃、いろんなアイドルが脱いでましたから、とうとうキョンキョンもやっちゃったか。まあ、篠山紀信あたりが口説けばヌードになるのかな、と。袋綴じのグラビアに小泉今日子のヌード以上の写真があるというので、開けてみると小泉さんのレントゲン写真・・・。(笑)

あなたも騙されましたか・・・。(笑) 後は『頑張れ平凡パンチ』ですか。

はい、週刊プレイボーイのライバル誌の平凡パンチがどんどん部数を減らしてきて、それにエールを送るという内容でしたけど、自慢話とホメ殺し・・・。(笑)

私はハスに構えて記事を作るという事を部下に教えましたね。四つに組むなと・・・。それが週刊プレイボーイ・ジャーナリズムです。今の週刊プレイボーイは全然ダメです。マジメ過ぎて、ユーモアがない。ユーモアが大切なんですよ。グラビアも大した事がない。AKBとか集団でしか発信できない。昔は浅野ゆう子とか、いましたよ。

時代が変わったんですかね?

時代も変わったし、編集者も試験が難しくなって、優等生しかいなくなりました。

天下の集英社ですからね。

私が入社した時は百五十人位でしたが、辞めた時は八百人、それ位、隆盛を極めましたね。漫画で大きくなったんですよ。

少年ジャンプですね。実は以前インタビューした佐藤正樹というアニメーターが、スラムダンク、キン肉マン、北斗の拳など、少年ジャンプの漫画のアニメの総作画監督をしてるんです。一関って面白い街でしょう? いろんな才能が出てるんですよ。

やはり一関は学問の街なんですね。大槻三賢人を輩出してますし、和算の街でもあります。

一関藩の家老が算聖、関孝和の関流算術の第五代目ですからね。

ベイシーの菅原正二を生んだだけでも、凄いよ。(笑)

たしかに菅原さんは疎開ではないですものね。

私は疎開ですよ。小学校に入る前に一関に来ましたからね。純粋な一関人ではないんですけど一関を愛してますよ。一関にマンションも買いましたから。

NHKのBSで『全身編集長』という、島地さんを主人公にした番組がありました。

プロデューサーが私の編集長時代の週刊プレイボーイのファンで、どうしても私を番組を作りたいと、言われまして。でも、テレビはこれでおしまいです。テレビは所詮テレビですよ。私は自分の書いた文章のファンになってほしいんですよ。ゴーストライターも使いません。私独特の味が出ませんから。

PENの連載は私も読んでます。今回はマッカーサーの話ですね。

この連載の特徴は有名人の葬式に行って弔辞を読んでるんですよ。チャーチルとか、藤田嗣治とか・・・。私は藤田嗣治が大好きでね、ここにも一枚猫の絵がありますけど。ファンの方が持ってきたんですよ。ファンって、凄いですよ。貢物が多くて・・・。(笑)伊勢丹の社長の大西洋もスーパーバイヤーの藤巻も私のファンでした。それで、伊勢丹メンズ館の八階にシガーバーのサロン・ド・シマジを開業することになったんです。私のファンはコアなんですけど、熱狂的なんですよ。

そうですね。不思議な人生訓というか・・・。

格言好きですからね。

正しいことを言っているのか、間違ったことを言っているのか、よく分からないですよね。

あはははははっ。その通り。でも、一理あるでしょう?私の考えた格言で一番人気があるのは、「男と女は誤解して愛し合い、理解して別れる」というのがあります。次に人気があるのは、「浮気がばれたら、実刑はないが時効もない」浮気がばれると女房に死ぬまで言われないといけない。さる九十三歳の男性の知り合いがいるんです。いつも元気なんですが、ある時機嫌が悪い。「どうしたんですか? 身体の調子でも悪いんですか?」と聞いたら「いや、女房が五十年前の浮気をいまだにグチグチ言うんだよ。こっちはもう、顔も名前も忘れたっていうのに。それで、この格言を考えたんです。その人の女房は八十八歳ですよ。この格言は真理です。女房は戦友ですね。そう思わないと・・・。

たしか島地さんの奥さんは一関出身ですものね。

そうです。古関常夫という一関で助役をやった方がいて、女房はその娘なんです。女房のお兄さんと仲が良くて、妹の面倒を見ているうちに結婚したんです。

集英社で就職が決まった時に同棲がばれて、大変だったとか。

ええ、一緒に住んでいるのを見られて、大変でしたよ。土下座して、集英社に入れてもらいました。ですから、私はいくらかは運があるんです。人生は運と縁です。縁はすごい人がいると思ったら、自分をアピールして仲良くしてもらう。私が現在あるのは、私の本のタイトルにも、ありますが『アカの他人の七光り』ですよ。

あのテレビで見たんですが、娘さんをガンで亡くされてますよね。

ええ、娘が三十六の時でしたね。

何年ぐらい前なんですか?

七年ほど前ですね。まあ、これも運命だと思いましたね。私の文章にもよく書いてますが「人生は恐ろしい冗談の連続である」と。私が編集長になったことも恐ろしい冗談、嬉しいことも哀しいことも、そう思っていれば、間違いないんですよ。人間には生まれた時にシナリオライズされた寿命というものが、あります。

そうですか・・・。あの一関にメッセージをいただきたいのですが。

それは、簡単、私の著作を全部読んでください。そこに私のメッセージがあります。後は新宿伊勢丹メンズ館八階にあるサロン・ド・シマジに来ていただければ、私が直接、お答えしますよ。(笑)

今日はどうもありがとうございました。

こちらこそ、スランジバー。






2015年3月18日

瞳ナナさん インタビュー

本日は東京で魔女軍団のリーダーとして、活躍されているマジシャンの瞳ナナさんを紹介します。


山目小学校、藤の園と二回、マジックショーをされた後、藤の園にてインタビューしました。


よろしくお願いします。
こちらこそ。
今日は一関マジッククラブとして、瞳ナナさんを藤の園に呼ばさせて、いただきました。一関マジッククラブ創設者の阿部はもと愛心幼稚園の職員で・・・。
あら、私も愛心幼稚園の出身ですよ。
そうですか。私も愛心幼稚園の出身です。奇遇ですね。簡単な経歴などを、お願いします。
萩荘小学校、萩荘中学校、一関二高、短大と進んで、魔女界に行きました。短大時代は山目(やまのめ)中学校に教育実習に来ましたので、山目とも縁があるんですよ。
何を教えてたんですか?
音楽です。
こんな綺麗な先生だと、びっくりしますね。(笑)
ありがとうございます。(笑)

練習は一日、何時間ぐらいされるんですか?
練習はしてないんですよ。毎日、どこかでやってますからね。寄席がありますから・・・。あと、今日もありましたけど、仕込みがおかしかったので、二回目、ちょっと失敗しました。山目小学校でのショーの後、母に畳んでもらったんです。でも、意外とお客さんって、見てなかったりするんですよ。「何だったのか?」と思いながら、次の現象になってしまいますので。マジックをやってる人は、分かるでしょうけどね。(笑)
毎日の実践が練習というわけですね?
プロになってしまうと、練習というよりはお客さんの前で恥をかきなさい。みたいなところが、ありますね。ずっと鏡の前で練習してると、自分で安心してしまうので、ちょっと練習して、小さな寄席などでお客さんの反応を見て、判断します。プロだと、あまりテクニックを使ったマジックはやらなくなりますね。デパートなどだと、上からも横からも見られますから、安全なネタしか、出来なくなります。営業はどこに呼ばれるか、分かりませんから。体育館ばかりでは、ないですから。
山目小学校でのショーは、どうでしたか?
途中から照明が付きましたけど、暗かったですね。暗いし、広いわで、大変でした。吹奏楽の関係
、だと思いますけど、舞台と観客席の間にブルーシートが置かれていて、お客さんと距離があって、やや一体感に欠けていたかな、と。それにイリュージョンだと、人が浮いたり、剣で刺したりと現象が分かりやすいんですけど、ステージマジックでしたからね。
藤の園のことはご存じでしたか?
こういう所があるとは知りませんでした。ここは落成したのは?
去年ですね。それまでの建物は、震災でかなり、やられましたから。昔は孤児院と言ってました。今は養護施設と呼んで、キリスト教の教えに基づいて、両親のいない子供や、訳あって両親と一緒に暮らせない子供を引き取って、育てています。
私はよく地方に行くんですけど、山梨の小学校に行くと、その両親はほとんど離婚してますよね。工場が多いので、外国の方との結婚が多いんですよ。
日本全国、行かれたんですか?
鳥取、島根、山口、この三県だけ、行ってないんですよ。
なるほど、海外は結構、行かれてますよね。
ええ、アメリカ、香港、韓国・・・。今年はタヒチにも行きました。
一関には、よく帰ってきますか?
今年は呼ばれる事が、多かったので。そういう時にしか、一関には帰ってこれないですね。
一年前、磐井病院でガン撲滅のキャンペーンでマジックショーをやられましたね。願成寺さんが呼ばれたんですかね。
願成寺さんには可愛がって、もらっていますね。落語芸術協会と日本奇術協会に所属させてもらってます。落語芸術協会は国際ボランティアとして、お寺でマジックをすることが多いです。いろんな所のお寺に行きます。いろんな所がありますよ。保育園、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、病院、老人ホーム・・・。大体は企業のパーティーが多いですけどね。忘年会、クリスマスなど。ライオンズクラブとかロータリーさんですね。
老人ホームでウケるネタって、大変ですよね。
そんな事はないですよ。ただ、感情を表現しにくいので、泣いて喜んでくれたりですね。それと老人ホームのランクにもよりますよね。前にあったんですよ。かなり弱った方がいる所ですと、演じている私の方が悲しくなってしまって。
でも、毎日やってると大変ですよね。
今日みたいなステージマジックだといいですけど、イリュージョンだと、たんすみたいな物を組み立てる所から始まってしまいますので、重労働です。毎日が引越し屋さんみたいなものです。鉄骨みたいな物ですよ。人が乗ったりしますからね。今日のはスーツケースで移動できますけど・・・。イリュージョンの方は年を取ったら出来ないのかな、という感じはしますね。
師匠の北見伸さんは、どんな方なんですか?
修行中とかは厳しかったですね。私は一人っ子だったので、あまり怒られた事がなかったんですよ。職人気質の先生でしたので、マジックの事は当然として、マナーとかを教えてもらったり、後はやれと言われた事をやってなかったり、人間だから忘れる事もあるじゃないですか。そうすると怒られたり。でも、親みたいな感じですよ。東京にいる時に、ずっとお世話になっていたりするので。そういう厳しい人って、本当は、優しかったりするんですよ。それはずいぶん感じました。普段、「やってあげるね」なんて、優しい人は実はそうでもなかったり・・・。テレビ局に行っても、感じ悪いなと思う人に限って、ちゃんとしてくれたり。そういう事は世の中、あるんですよ。
社会に出た時に優しい人に頼るのではなく、厳しい方につくと、最終的にその人が助けてくれるということがありますね。
厳しい人ほど、その裏に優しさを持っているのかもしれません。
なるほど、ご両親はこういう世界に入ることを反対はしなかったのですか?
母は短大に入って、こういう世界に進むと言ったら、胃に穴が開くほど悩んだそうです。親の死に目にも会えない世界だと聞いてましたが、祖父の亡くなる時も仕事でした。通夜には出席しましたが・・・。
瞳ナナさんが入られた時には、魔女軍団に先輩がいたんですか?
その時は魔女軍団ではなかったですね。マジカル・ダンサーズといって、北見伸先生のアシスタントでした。
ところが女性マジシャンが必要な年代があって、男性の宴会があって、女性マジシャンが欲しい、ということになって、私が第一号ですね。先輩のダンサーで、私がマジックをやるようになって、マジックを始めたのがマジック・ジェミーさんですね。今日、実は一関に来てたんですよ。
来てた?
花泉の金沢(かざわ)で寄席があって、同じ時間帯なので、どうしても一関には行けない、と。そういう事もありますよね。
実は一週間ほど前に仕事で身延に行った時に、身延町立図書館に、いっこく堂さんが来て、そのゲストマジシャンが魔女軍団のここあちゃんで、こんな田舎にまで来るんだ、とびっくりした事があります。
どこでも呼ばれればですね。田舎に行くことが多いですね。芸能をあまり見たことのない地域に・・・。あと、今は復興支援で行きますね。国から助成金がありますから。宮城県が多いんですよ。なかなか岩手県はないんだな、と思いながらですね。
福島はないんですか?
福島は昨日あったんですよ。それがいろいろあって、新幹線に乗り遅れたんですよ。一時間に一本なので、それに乗らないと間に
合わないんですよ。そうしたら、私と同じように乗り遅れたおじさんがいたんですよ。タクシー乗り場で「郡山までタクシーか」と私がブツブツつぶやいていたら、そのおじさんが、「よかったら、タクシーに一緒に乗ります?」と言ってくれて、一緒に郡山まで乗って、料金はそのおじさんが払ってくれたんですよ。
美人は得ですね。(笑)
魔女も乗り遅れる事があると・・・。(笑)
ほうきに乗っていくわけにも、いきませんしね。
今朝、寝たのが12時過ぎでしたから、山目小学校に来ても眠かったですね。
ハト出しをされてましたけど、ハトは連れてこられたんですか?
はい。今、まだ上にいるんですよ。
羽は切っているんですか?
そんなに切ってはいないですよ。毎日、同じ事をやってるから慣れてるんですよ。事務所に六羽いるんですよ。比較的大人しい仔を連れてきました。
長生きするものなんですか?
そうですね。十年ぐらい。負担をかけない仕込みにしてるんですよ。飛行機に乗る以外は持ち歩いてますね。一羽ぐらいなら。
以前、テレビでお部屋紹介みたいな番組があって、瞳ナナさんのプライベートルームが映し出された事がありました。部屋中ピンクでしたけど、あれは本当なんですか?
お姫様ベッドがあってみたいな・・・。(笑) 本当ですよ。ピンクが好きなんですよ。
一関出身のアイドルの方って、結構いるんですよ。セーラームーンでセーラーヴィーナス役を演じた小松彩夏さん、山目小学校、山目中学校出身で仮面ライダーのヒロイン役を演じた志田友美さん。会った事はありますか?
知ってますよ。お会いした事はないんですが。
こういう人たちとコラボでショーみたいな事は出来るんですかね。
面白いですよね。やってみたいですよね。
事務所がうるさいとか。
うちは大丈夫ですけど、他はどうかなと。
それと一関二高出身でプロレスラーの佐々木貴さんという方がいます。フリーダムズという団体の代表なんですが。
あまり、プロレスは詳しくありませんが・・・。
以前、プリンセス・テンコーさんが新日本プロレスの選手紹介でイリュージョンをした事があります。空のケージから選手が現れるという。
登場も芸能人から依頼される事がありますよ。練習出来る人か、出来ない人にも、よるんですけどね。狭い所が嫌だと言われれば、もう無理なんですけどね。女子ゴルファーのトップの人たちを出すというのはありました。みんな、お金持ちだから、嫌だと言うのかと思ってましたけど、上から言われたためか、ツンツンしながらもやってくれましたね。よく会社のパーティーで社長を出してくれ、という依頼がありますけど、「暗闇で耐えられますか?」 ということは聞きますね。あと、花嫁さんを出してくれ、というのもよくありますが、これは断ってますね。ドレスを着てますし、綺麗にセットされた髪などがぐちゃぐちゃになったら困りますからね。ステージから作ればできるでしょうけど。
せっかく、地元出身ですので。
そうですね。全員の方とお会いしてみたいですね。
私のブログを読んでもらえると、一関出身者のブログやツイッターが網羅されてますので。
はい、読んでみますね。
あと、山上兄弟はどんな感じなんですか? テレビで喧嘩されてましたけど。
あれは全部テレビ局のヤラセです。「泣いてくれ。喧嘩してくれ」と
。仲はいいんですけど、泣いてるシーンが撮りたい。だから喧嘩してくれ、と。もう、テレビはあまり良くないですよね。ストーリーが決まってるんですよ。
そうですか。驚きました。最後に知り合いのマジシャンの方に頼まれたんですけど、理想の男性はどんな方ですか?
優しい人ですね。(笑)

今日はどうもありがとうございました。
こちらこそ。