2015年10月21日

watoさん インタビュー

今回はフードコーディネーター、イラストレーター、管理栄養士という三つの顔を持つ、watoさんを紹介します。
watoさんは、以前インタビューした菅原正二さんの長女です。

主な著作物
「日替わり野菜弁当」 青春出版社
「キレイにやせる美人レシピ」 成美堂出版
「リトルギフト」 サンクチュアリ出版
「親子でニコニコ朝ごはん」 ワニブックス
「かんたん、満足やせ*ごはん」 学研プラス
「春夏秋冬ごはん帖」 ヴィレッジブックス


今日はよろしくお願いします。

こちらこそ。父のインタビュー記事を読ませていただきました。

そうですか。ありがとうございます。

今までにwatoさんが出版した本を持ってくる。

ずいぶん、ありますね。

記事にはイラスト集とありましたけど、レシピ集ですね。

これは編集の方から、話が来たんですか?

そうですね。「本を出しませんか?」という話がありまして。

一番最初に本を出されてから、それから広がっていったんですよね。

一番、最初の本は2009年に出したんですけど、その前から、割りとメディアでお仕事をしていたので、それで声を掛けていただいたという感じでしょうね。栄養士の免許を持っているので、カロリー計算とか、栄養の説明が付いている本が多いです。ダイエット情報誌とか・・・。

もともとは大妻女子短大を出られて、病院に勤めていらしたんですものね。

そうですね、短大を出て、病院に四年勤めて、そこを辞めて夜にイラストの学校に行きました。

パレットクラブですね。

そうです。夜はパレットクラブスクールに行きまして、昼はスープ屋さんでバイトして、そういう生活が六年続いて、その後フリーランスになって、こういう本を出しました。それが2006年か2007年ぐらい・・。

すごいですね。普通、なかなか本とか出せないのに・・・。

ほんと、ラッキーでしたね。

スープ屋さんに勤めている時から、何かしてたんですか?

もうケータリングを始めていたので、いろんなイベントに料理を持っていって、パーティー料理を出していたりしていたので、人脈は広がりましたね。それから、五、六年経って、「まだやってる?」
みたいに声をかけていただいて、そこから広がったという感じですね。運だけですね。

いやいや、我々の先輩の島地さんが「人生は運と縁とセンスだ。努力はあまり関係ないんだ」と言いますからね。(笑)

努力もほしいとは思いますけど・・・。(笑)運と縁はありましたね。

その頃からカリー番長さんとは知り合いだったんですか?

カリー番長さんとは2001年ぐらいに知り合って、2002年頃からケータリングを始めようと思った時に、彼らはその3年ぐらい前から始めてたので、先輩なので、「どうやったらいいか、教えてください」と連絡を取ってそれからの付き合いですね。

自分たちの店舗は持ってないんですものね。

持ってる人もいますけどね。カリー番長さんは持ってないですよね。

車に積み込んで営業してますものね。

ケータリングって、二タイプあって、完全に仕込んで仕出し弁当みたいに行った先で並べるだけのものと、行った場所で作る場合があって、それはパーティ会場に調理器具があるかないか、という環境の問題があって、そこは依頼主さんとの打ち合わせですね。

そうですか。

半々のこともありますね。前菜は持っていって、メインは揚げたて、焼きたてを出す。それは打ち合わせで決めていきます。

なるほど、弁当屋さんとは違うんですね。

お弁当の依頼もありますけど、ただ、お弁当を届けて終わりというよりは、イベントやパーティーのテーマがあって、そこに関連した料理を届けて、その場づくりのピースの一つになれるか、オリジナリティを出せればいいかな、と・・・。

さすがに違いますね。

非日常を届けるのが、ケータリングだと思いますので、なるべくテーマを聞いてヒントをもらってから、作ってますね。

あの、ちょっと前に日韓ワールドカップがありましたよね。

はい。

その時に私、組織委員会の一人に選ばれまして、大阪でサブディレクターをやりました。その時にケータリングをどうしようか?みたいな話になって、私、その時、初めてケータリングという言葉を知りまして、弁当屋さんじゃないの?と思ってたんですが、スタッフの方に料理をお出しする、という感じで、まあ、何かテーマみたいなものが、あるんですよ。

企業がやってるビュッフェみたいなものもあれば、私みたいに個人でやってると、大規模のものは出来ませんけど、細かく寄り添ったものが、出来ないかな?と・・・。唐揚げとフライドポテトだけじゃないものを作りたいなと・・・。

子供の頃から料理は好きだったんですか?

母親の手伝いをする程度で・・・。中学に入ってから、意識し始めましたね。でも、料理することを職業にするとは思わなかったので、とりあえず一関一高に行こうかな、と。

すごいですね。

両親とも一高だったんで・・・。

あっ、お母さんも一高生だったんですか?お父さんとは同級生で?

いえ、母は七つほど、年下ですね。

そうですか、お母さん、薬剤師ですものね。料理の才能はお母さんから受け継いだんですね。絵の方は?

父から受け継ぎました。

お父さん、家で絵を描いたりするんですか?

描きますよ。

ベイシーにあるコーヒーカップに猫の絵があって、お父さんが描いたんですよね。

ええ、でもあれは猫じゃなくて、自画像なんですって。

自画像?

コーヒー豆の麻袋を被った自画像なんですよ。猫みたいに見えますけど、麻袋なんですよ。

麻袋を被った菅原正二ですか・・・。

あまり。知られてませんけど・・・。

面白いですね。(笑)

リスとかバンビとか、ディズニーや手塚治虫先生の影響を受けているので、動物を描くのが上手ですよ。

音楽の方かと思ったんですけど・・・。

どっちも・・・。ベイシーのポスターも、昔は全部手書きで、レタリングもしてましたから・・・。

カッコいいですね。私の父も一高ですけど、ただの酒飲みですからね。(笑)

一人っ子で、両親とも共働きで、一人の時間は結構あって、お絵かきするのが好きでした。絵を描いてると、下手でも上手くても、「描け描け」って、「何でもいいから続けろ」というのが父の教えでしたね。褒めて伸ばすタイプですね。私は褒められて木に登るタイプで・・・。(笑)自分は絵が好きなんだ、って、そこでいい具合に刷り込まれて、それで続けようと何の疑問もなくきて、今に至るという。

いやあ、確か病院でwatoさんの絵が飾られているとか・・・。

盛岡にあるゆとりが丘クリニックですね。

病院の人はどこかでwatoさんの絵を見られたんですか?

たぶん、父が見せたんですね。

知り合いですね。ああ、それで面白い絵だと・・・。

今も飾ってあるんですか?

今も飾ってありますね。一年半ほど前に伺った時にまだ飾ってありました。いっぱい飾ってくれてました。

やっぱり患者さんの精神にいい影響を与える、ということですよね。

そうおっしゃってくれてましたけど。そうだといいですね・・・。

そうですよ。グロい絵だったら、飾らないですものね。

グロくないですよ。(笑)

ほのぼのとしてるから、いいんですものね。

原画がたくさん自宅にしまい込んであるので、もったいないので、飾ろうかなと・・・。

それなら額に入れて、サロン・ド・シマジに飾ったらいいと思いますよ。

いえいえ、そんな・・・。

いや、あそこは金持ちが集まりますから、売れますって・・・。(笑)

しばし、watoさんの絵を見る。

これは何の画材を使ってるんですか?

色鉛筆やクレヨン、絵の具、いろいろ、ごちゃ混ぜですね。これは猫にまつわる本で、いろんな人が19人ぐらいで、猫の絵を描いてますね。

猫はお好きですか?

動物が好きですね。でも、この中で猫を飼ってないのは私だけなんですよ。私だけ築地の猫を写真に撮ったんですよ。毛のある四つ足が好きですね。アルパカとか・・・。

アルパカ・・・。この前子供と荒川遊園地に行ったらアルパカがいて、触りましたよ。

那須にアルパカ牧場というのがあって、400頭ぐらいいるんですよ。

そんなのがあるんですか?

そこに通ってたら、所長と仲良くなって、アルパカのコラムを書いたという。

すごいですね。でも意外とアルパカって汚いんですよね。

ああ、泥んこですよ。

ところで一関は料理を作るのが好きな人多いですよね。小松彩夏さんはニコニコチャンネルでこまっちゃんねるというのをやってるんですけど、料理を作ってレシピを載せてますし、リズム食堂の長男のプロレスラーのYAMATO選手はフードコーディネーターですし、志田友美さんはNHKのEテレのスイエンサーで見事な料理の腕を披露してますからね。今、執筆中のものって、あるんですか?

ないですよ。

一関のミニコミ誌に連載してましたよね。

『はなうた』ですか?はなうた自体、なくなりましたよ。

いつですか?

結構、急でしたよ。次に載せる原稿を書いて渡してたのに、来月から無くなると・・・。

それは何ですかね?資金難ですかね。

深くは追及していませんけど・・・。残念と思って・・・。段々、薄くなってきて・・・。結構はなうたを楽しみにしていた方はたくさんいらしてたんですけどね。

一応、一関市民は目を通してるんじゃないですかね。私の母も知ってましたし・・・。

また、何かあれば・・・。はなうたを見てると、一関にこんなにお店があったんだと・・・。いつか行ってみたいと思って見てたんですけど・・・。

島地さんから、美味しい一関のお店を教えてもらいまして・・・。

どこですか?

富澤って知ってますか?

ああ、知ってますよ。前、一緒に行きました。島地さんが家に来たとき、父と一緒に大勢で行きました。

そうですか。私は知らなかったんですよ。富澤は知ってましたけど、普通の魚屋さんだと思って・・・。奥に食べるところがあるとは。

ええ、奥に素敵な蔵があるんですよね。一階がすごい喜ばれるんですよ。

後はアビエントですかね。

アビエントは行ったこと、ないんですよ。地主町にあるバーですよね。

マスターがモデルをされていたとかで、イケメンなんですよ。

そうですか。

仙台でバーの修行をされていた時にモデルをやってたんですよね。松本旅館の息子ですよ。

さすが、いろんな方、ご存知ですね。(笑)

一関の情報は並じゃないですよ。(笑)

私は高校終わって、一関を出てますから・・・。高校時代、行くところなんか限られているじゃないですか。飲み屋に行くわけじゃないし、全然分からないですよね。帰省しても行く所が決まってますからね。両親と一緒にいるから、なかなか知らないんですよね。後で教えてもらおう。

いえいえ、そんなことないんですけどね。一関に帰ったら必ず行くのはアイスのポラーノ。あそこは美味しいですよね。休みの日はお客さんが一杯ですよね。車のナンバーを見ると、どこから来てるんだ?みたいな。

今くらいの季節だとドライブしたら、新緑で気持ちがいいですよね。二年前に免許、取ったんですよ。

ブログに書いてましたね。車を買われたんですか?

東京にはシェアカーがあちこちにあるので、それを利用してます。

その方が安いんですかね。

毎日は乗らないし、駐車場代はかからないし・・・。すぐ隣にあるので、マイカーですよね。都内はレンタカーとシェアカーで十分ですよ。丸一日乗るなら、レンタカーの方が安いし、ちょい乗りなら、シェアカーの方が安いんです。

あの、二年前までは、どうやって料理を運んでたんですか?

タクシーか主催者の人に来てもらうか・・・、都心に住んでいたので、楽ですね。今でも場合によってはタクシーを使いますね。会場に行って、荷物を下ろして、駐車場探すより、タクシーでぱっと行った方が早いですよね。交通費は別途いただくので、タクシーの方が安かったりするんですよ。

あの、それでよかったのに、どうして免許を取ったんですか?

震災がきっかけですよね。自力で沿岸を回りたかったんですよ。震災後、私が最初に帰ったのは新幹線開通直後、ゴールデンウイークだったんですが、足がないから、沿岸に行けなくて、その後ようやく支援団体に入って、車三台ぐらいに乗り合わせて、岩手の沿岸に行って、保育園や集会所でボランティアしていて・・・。その後も月に一回、一関に帰省していたんですけど、沿岸に行く手段がなかったんですよね。電車もないし。車があれば、皆の予定を合わせなくても、行こうと思った時に行けますし・・・。こんなに近くなのに、というもどかしさがあって・・・。団体で行った時に知り合った人もいるので、気軽な感じで行きたいんですよ。そういう気持ちが募って、免許を取ったんです。後はこう言っては何ですけど、親が年を取ってきたので、何かあった時、すぐ行けるようにした方がいいのかな、というのもあって・・・。三つめは那須のアルパカ牧場に頻繁に行きたいというのがあって・・・。ここも車じゃないと、行きづらいんですよ。(笑)いつも友達と予定を合わせて行っていたので・・・。当初は東京で仕事で使うということは考えてなくて・・・。そういう理由で免許を取ったんですけど、いざ取ってみると、都内でもすごい便利で・・・。

そうですよね。

大船渡に夜行バスで行って、レンタカーを借りて陸前高田まで一人で行って・・・。これが、やりたかったんだって。バスが非常に少ないので、車がないと、なかなか行けないんですよ。

現地に行って、料理を作るということですか?

そうですね。いろいろなタイプがあって、この間はある仮設集落に行って、おばあちゃん達とお料理教室をやりました。冬だったので、牡蠣の料理を作って、みんなで食べました。そこは以前からボランティアで行っていたところで、だいぶ整ってきたので、今度はボランティアではなくて、我々が仕事として依頼したいということを、言ってくださって・・・。この前はワカメ漁を手伝ったり、のど自慢大会を企画して、集会所のおばあちゃん達と過ごしたり・・・。

まだ仮設住宅の方って、いらっしゃるんですか?

いますよ。まだ大勢いますよ。

いまだにですか?

いっぱい、いますよ。

この暑い夏どうするんですか?

暑いし、寒いし・・・。

エアコンとか、あるんですか?

一応ありますけど、プレハブですからね。横からの照り返しもあるし・・・。そうですよね。当初、二年といわれていたのに、もう五年になろうとしてますよね・・・。とは言え、徐々に高台に移転が始まってます。ただ、それには新たな問題があって、お年寄りなんかは仮設の中でコミュニティが出来て、仲良くなってる人達がいるのに、移転となると、また、そこで新しいコミュニティを作らないといけないんです。何回も再構築していかないといけないという難しさがあるんです。今は瓦礫撤去みたいなボランティアはないですけど、皆が集まる場所を作るようなお手伝いとか、楽しく笑いあえる時間が出来たらいいな、とか・・・。陸前高田は小さい頃、海水浴に行っていたこともあって、衝撃も大きいんですよ。

ああいう津波が来るとは、思わなかったですね。

観光する場所がたくさんあるので、遊びに行ったらいいと思いますよ。

そうですよね。遊びに行って、お金を落とせばいいんですよ。

そうです。食べるところもありますからね。

旅館とかあるんですか?

ありますよ。でも、埋まってるんですよ。まだ工事関係者の方が泊まっていらっしゃるので、早めに予約すれば、大丈夫ですよ。あと、民泊といって、民家に泊まらせてもらうシステムも出来ているので、問い合わせれば方法はいろいろとあります。新しいビジネスホテルみたいなものも出来てきてますね。最初の頃は集会所で寝袋で寝たり、保育園で寝たりしてました。(笑)

スーパーもあるんですか?

ありますよ。イオンもできましたし・・・。

私、一高を卒業した後、国鉄に入って、最初に配属されたのが釜石だったので、まさか釜石が津波であんな風になるとは、思わなかったですね。鉄の町だし、ラグビーで有名だったので、強いイメージがあったんですけどね。

釜石は団体で行った時に、市役所の方と知り合いになって、釜石の街を案内してもらいました。仲良しになったケーキ屋さんとブレイクタイムをしたり・・・。釜石に父の友人が経営しているジャズ喫茶があって、復興のお手伝いに行ったこともあるんですよ。

たしか、一階が流された、という話しを聞いたような・・・。

ジャズ喫茶は二階にあったので、レコードとかは大丈夫でしたので、ちょっと改装して営業できました。

それは、良かったですね。あの、震災の時、ベイシーは大丈夫だったんですか?

ベイシーはヒビが結構、入って・・・。蔵で土壁なので、崩れたりして・・・。二階の大きな梁が割れたりして、二か月ぐらいで直しました。でも、最近、音が外にすごい漏れてるんですよ。(笑)どこか、大きなヒビがあるんじゃないかと・・・。私も東京にいて、つぶれたと思いましたよ。母とはすぐ連絡が付いたんですけど、父とは連絡がつかなかったので。逃げないで支えて、下敷きになったんじゃないか、とか・・・。レコードの下敷きになったとか・・・。

お父さんですからね。三トンあるレコードを身体で支えててもおかしくないですからね。(笑)

東京の父の知り合いからも、ひっきりなしに父の安否をうかがう電話が来たんですけど、怪我もなく大丈夫でした。

真面目な話になりますけど、これから、やりたいことって、ありますか?

これは言いだしてから、もう何年にもなるんですけど、日本の郷土料理に興味があって、その郷土料理を教えてもらいに行く旅に出たいです。そこに住むおばあちゃんに習いたいです。できれば東北全土を回ってから、日本全国を回るのが楽しそうですけど・・・。

それは何かに発表するんですか?

そうですね。やはり写真や文がある書籍という形がいいと思うんです。映像という形がいいんじゃないかという人もいますけど、それはハードルが高いので、まずはレシピで。郷土料理って、そこに住む人には日常過ぎて、レシピってないんですよ。数値化されていない。そこに住んでいる人にだけ伝承されてる。最近ではもう伝承が止まっている。でも、その料理が生まれた背景がそこにはあって、気候とか歴史とか・・・。どうしてこの食材を使うのか、調べてみると面白くて・・・。これは残した方がいいんじゃないかと思って・・・。ただ郷土料理を知ってるのって、私から見るとおばあちゃんの世代であって、私の母の世代は洋食が流行って洋食に憧れた世代のような気がするんです。私の母も煮込みビーフシチューやロールキャベツが得意で美味しいんです。岩手の郷土料理の「すいとん」や「はっと」とかは、あまり作らないんですよ。そうすると私の世代がおばあちゃんの世代に聞いておかないと、なかなか残っていかないんじゃないかと・・・。そうなると大分急がないと・・・。

もう八十ぐらいですからね・・・。

このことを思いついてから、もう四、五年経っていますけど、なかなか実行出来なくて・・・。いろんな土地に行って、その場所のおばあちゃんに会いたいっていうのが夢ですかね。ただ自分のスケジュールもあるし、予算的なこともあって、いきなり全国は回れないので、まずは知り合いのおばあちゃんでも、訪ねるのがいいんじゃないかと思ってるんですけど・・・。どこに行ったらいいのか、というのが分からずにいるんですけどね。私の母方の祖母は名古屋から嫁いでるので、名古屋の郷土料理を教えてもらうんですよ。押し寿司とか・・・。日本に昔からあるような料理を覚えて、その料理をそのまま作れるようにもなりたいし、今風にアレンジを加えて出してみたいな、というのがありますね。ライフワークになるといいですね。それが終わったら、世界に行って・・・。

すごいですね。

フランスの田舎町に行ってとか、妄想は膨らみますね。(笑)

でっぷりと太ったおばあさんが、いたりしますよね。

可愛いスカート穿いて花柄のスカーフを被ってと、そういうおばあちゃんに憧れますね。何か所かは、やってるんですよ。イベントに呼ばれて島根に行ったことがあって、その時、廃校になる小学校を使って文化祭をやろうという企画があって、地元と早稲田大学の建築科のチームが組んで、地域の再生活性化というテーマで、地域の人たちと地元の食材を使って、私が新しい食べ方を提案して、地元の人は普段よく食べている料理を私に教えてくれる。一緒に料理を作って、それを文化祭で販売するという企画を立てて、これかなっていう感じはしました。知らない食材を見るのも楽しいし、向こうの方たちと会うのも楽しいし、私の提案にこういう食べ方もあるのかと、向こうの方も喜んでくれて・・・。陸前高田に行った時も、牡蠣という食材があって、自分たちだと煮付けるか鍋にするか、フライは若い人がいないからしないし・・・。食べ方が偏って、飽きるというので、「ではミルクシチューを作ってみます?」と言って作ったらすごい洋風だと言って喜んでくれて、そのやり取りが楽しかったので、そういう交流が出来たらいいなと・・・。その規模を小さくして、岩手県内でやるのも、楽しそうですけどね。岩手県は広いから五つのエリアに分かれて話しますけど、その五つでも方言も文化も元々の藩も違うし・・・。

そうですね、岩手県内でも、面白いものができそうですね。

仕事で遠野にひっつみを習いに行ったことがあって、遠野のおばあちゃんに習って、それもよかったですね。おばあちゃん、募集中です。一関市内の方でも、いいです。

最後に一関の方にメッセージ、ありませんか?

私自身、一関の良さをあまり知らないので、楽しいお店、愉快な人、面白い一関の情報がありましたら、ぜひ、FMあすも「watoのおむすびラヂオ」まで、お手紙、待ってます。

うまく、まとめましたね。(笑)今日はどうもありがとうございました。