2013年5月27日

[インタビュー] 佐藤正樹さん


―今回は一関市出身のアニメーター佐藤正樹さんを紹介します。

主な経歴
「ドラゴンボール」作画監督
「スラムダンク」キャラクターデザイン、総作画監督
「白鯨伝説」総作画監督
「頭文字D」キャラクターデザイン、総作画監督
「キン肉マン2世」キャラクターデザイン、総作画監督
「北斗の拳」キャラクターデザイン、総作画監督
「エグザムライ戦国」キャラクターデザイン
「まじっく快斗」キャラクターデザイン


----今日はどうもよろしくお願いします。
よろしく、お願いします。不思議な感じがしますね。
----実は佐藤さんは、私の中学の後輩で、しかも、弟と同級生でした。 今日はそう言った点も含めて、一関市が佐藤さんに与えた影響などを聞いてみたいと思います。
お手柔らかに、お願いします。(笑)
----経歴が本当に素晴らしいです。日本を代表するアニメにほとんど携わっていますね。絵を描くのは子供の時から好きだったんですか?
はい、実は母が一関でJUN美容室を経営しておりまして、母は美容師で忙しくしていたので、一人で絵本を切り抜いたりして遊んでいたんですよ。キャラクターの輪郭に合わせて・・・。ハサミの使い方は上手くなりました。
----さすが美容師の息子ですね。(笑) 
そのうち、切り抜く本が無くなってきたのか、衝動的に絵を描き出したんですよ。もう、ほとんど無意識でしたね。
----そうですか
忘れられない思い出は、私は山目保育園だったんですが、保育園の先生から画材をプレゼントされたんです。もしかしたら、その当時から、絵は上手かったのかもしれません。(笑)
----それでは小学校に進級したら、もっと凄かったんじゃないですか?
はい、図工の時間に描く絵は先生が勝手に市や県のコンクールに出品しまして、いただいた賞状はぐるりと壁を一周しましたね。
----その当時から、才能の片りんは見せていたわけですね。
どうですかね。(笑) ただ、山目小学校の一、二年の時の担任、高橋恵子先生から私の両親に「正樹君は将来、絵の道へ進めてください」という、話があったそうです。
----それが将来を決めたわけですか?
まだ小さかったので将来のことはあまり考えていませんでした。実は私は絵の道には、それほど進みたくなかったんですよ。(笑)
----これは面白い話ですね。そのあたりの事を聞いてみたいです。
中学時代は体操部で絵は授業の時にしか、描きませんでした。
----実は、山目中学の佐藤さんの同級生が私の弟で、「兄貴、俺のクラスに凄い絵を描くやつがいる」と、言われた事がありまして、それが佐藤さんだったんですね。
ははっ、祐司さんですね。ありがとうございます。でも、本当に授業の時に描く絵だけで、漫画などは描かなかったんですよ。花泉高校に入って美術部だったんですが、いわゆる帰宅部というやつで・・・。(笑) 特撮番組が大好きで、仮面ライダーとか円谷作品に、はまってましたよ。
----それでは、本当は特撮の分野に進みたかったと?
ええ、それを決定させるような事が、高校の文化祭で起きまして・・・。私の父が当時最高級のソニーのベータカメラとF11のデッキを手に入れたんです。
----佐藤さんのお父さんというと・・・
珍々亭出前センターという、あの時代には珍しいデリバリーシステムを始めた男なんです。
----ほう、これは凄い。
当時の年商は億を超えていました。海外旅行に行くのが趣味で、お金は持ってましたね。その、父がビデオカメラを買ったんですが、宝の持ちぐされなわけですよ。(笑) それで、私がそのカメラを使って特撮ヒーロー物を撮って、文化祭に出展したんです。トリック撮影まで駆使しましたので、話題を集めました。一関テレビに出た事もあるんですよ。
----ますます、アニメから遠ざかっていきますね。(笑)
それで、高校の三年になって、将来の進路を決めなければならなく、なったんですよ。就職はまだ、したくないし・・・。それで、叔母に相談したんです。叔母は当時、「宇宙戦艦ヤマト」のプロデューサーの西崎義展の秘書をしていました。その叔母が「映像の仕事をしたいんだったら、美大へ行け」と、言うんですよ。美大へ進みたかったんですが、今度は学力がなくて・・・。(笑) それで、私の学力で入れそうなところは、東京デザイナー学院のアニメーション科しか、なかったんですよ。
----ここで、アニメーションが出てきましたね。
ところが、今度は東京デザイナー学院の卒業間際、やっぱりアニメーターに、なりたくなかったんですよ。(笑)
----よくよく、アニメーターが嫌いなんですね。
ははっ、それでも何人かの同級生に私の個人画集を同人誌で出さないか、と言われたりもしました。原作の良さを何故アニメで表現できないのか、という不満も私の中にはありました。そのうち同級生の西本君に「お前はジュニオに行け!お前はジュニオの考え方に合っている」と言われたんです。それで、ジュニオに行くことにしました。
----どうして、ジュニオに決めたんですか?
当時、前田実さんが「タッチ」の絵をブラッシュアップして、見事な出来上がりになっていましたし、スタジオ・ジュニオ※1が日本最高のクリエーター集団だと、西本君は分かっていたようですね。




----ジュニオに入社してからの事を聞きたいですね。
最初のうちは、普通に動画を描いていたんです。そのうち、原画の試験があって、それを受ける事にしました。
----動画は原画と原画の間の動きを繋ぐものですから、さほど絵心がなくても出来ますが、原画となると、白紙に描くわけですから、一気にハードルが上がりますよね。試験内容をお聞かせねがえますか?
はい。試験は10秒間、好きなキャラクターに好きな演技をさせろ、というものでした。一週間の期間があったんですが、私は仮面ライダーと戦闘員が格闘する、という演技を描きました。試験官の前田さんが私の作画を見て笑ってました。(笑) 一応、試験には合格しました。合格したのは、3人でしたね。
----原画になったのは、ジュニオに入社してから、何年ぐらい経ってですか?
1年半ぐらいですか・・・。
----1年半でジュニオの原画ですか。まさに、天才ですね。
いえいえ、たまたまで・・・。(笑) 最初の原画はひらけポンキッキの中で放映されていた「世界名作劇場」でした。そのうち、前田さんから「ドラゴンボール」のチームに入らないか、と誘われまして、前田さんのお手伝いをするようになったんですよ。
----「ドラゴンボール」での佐藤さんの作画は非常に好評で、たくさんのファンを作りましたよね。たしか、アニメ、「時をかける少女」「新世界より」の作画監督の久保田誓さんも、「ドラゴンボール」の佐藤さんの作画を見て、アニメーターになったとか・・・。
どうですかね、彼はもともと描ける人ですから・・・(笑)。
----「ドラゴンボール」の後は、「スラムダンク」のキャラクターデザイン、総作画監督を皮切りに快進撃ですね。
ありがとうございます。ファンの人から支持を受けまして・・・。
----特に思い出の作品はありますか?
そうですね。NHKの天才テレビ君の中で放映された「恐竜惑星※2」ですかね。
----総作画監督をされたんですよね。
最初、社長から話があった時は断ったんですがね。
----どうして、受けられたんですか?
よく、言いますね。(笑)
----えっ?
マッキーさんが、制作で原案だったからですよ。
----はい、あの時はお世話になりました。(笑) 私は制作と企画でジュニオに入社しましたが、作画では、とても入れませんでしたね。(笑) 思い出話を言いますと、作画スケジュールが非常に切羽つまっておりまして、10日間ほどで、500カットあまりを作画修正しなくてはならない状況になり、ました。それも恐竜もの。(笑) ジュニオといえども、この仕事ができるのは佐藤さんしかいませんでした。佐藤さんの作画修正している姿を見て、膝が抜けそうになりました。手の動きが速すぎて見えないんですよ。それでいながら、次々に見事な作監修正が仕上がっていく。その時、思いましたね。「ああ、この男を敵に回さなくてよかったな」と。(笑)
あの時のモチベーションが維持できたのは、マッキーさんが制作だったからですよ。感謝しています。
----そう言ってもらえると、助かります。しかも、ジュニオにはもう一人、一関出身者がいました。一関二高出身の女性※3で、一関出身者が三人ジュニオに集まるという、異例の事態でした。実は私がこの「一関きらり☆メッセージ」の企画を考えたのも、ここからです。
----それでは、ジュニオ時代の何か面白いエピソードをいくつかお願いします。ファンサービスということで・・・。
そうですか、それでは「ドラゴンボールZ」の話でも・・・。「ドラゴンボールZ」のアイキャッチを前田さんにムチャブリされまして、ある日の夕方に「明日の昼までにあげろ!」と言われたんですが、絵コンテの内容に尺が合わなかったので、苦労したんですよ。それなのに、放映を見た前田さんが、私に電話を掛けてきて、「正樹! 何だ、あれは!」と激怒されました。でも、結局、このアイキャッチが「ドラゴンボールZ」放映中、数年にわたって、一番多く使われました。最近びっくりしたのは、このアイキャッチの絵のカードダスがまんだらけで買い取り額、百万円だったことですね。(笑)
----すごい師弟関係です。(笑) 他には、ありますか?
TV版「スラムダンク」、二期目のオープニングに実は三井寿が出ていないんです。出来上がりのフィルムを見た西沢監督※4が慌てて、私のところにやってきて、「サトちゃん、サトちゃん、三井がいないよ」「ええ、いませんでしたね」「絵コンテの時に、どうして、言ってくれなかったの?」「西沢さんが演出で三井を出さないのかと思いまして」・・・・・・実は、西沢監督が単純に忘れていただけでした。(笑) よかったら、見てくださいね。その罪滅ぼしで、ザードさんの「マイフレンド」のエンディングに出てくる三井寿には力を入れて描きました。



----現在はどちらのスタジオに所属されているんですか?
中野にあるトムス※5というアニメ会社です。
----私は以前、中野でその会社を見た事があるんですが、地上七階建てほどのインテリジェンスビルが二棟ほどあって、一棟はトムス、もう一棟はトムス・エンターテイメントとなっていました。
私はトムス・エンターテイメントに所属しています。
----トムスで佐藤さんは「劇場 北斗の拳」のキャラクターデザインと総作画監督をされていますが、何かエピソードはありますか?
初めから私がキャラクターデザインというわけではありませんでした。「劇場 北斗の拳」のキャラクターデザインは、私以前に五人いたんですよ。ただ、誰も原哲夫先生の気に入らなくて、原先生は困っていました。「劇場 北斗の拳」の女性の方のキャラクターデザインは北条司先生で、北条先生が御弟子さんの井上雄彦先生に相談したところ、井上先生が「スラムダンクでキャラクターデザインを担当した佐藤さんが非常に上手い絵を描きますよ」と、私を推薦してくれたので、私にキャラクターデザインが決まったという経緯があります。
---少年ジャンプの有名漫画家のお墨付きというわけですね。
そのせいか、わかりませんが、少年ジャンプの編集長の堀江さん※6との折衝も私が担当することになり、プロデューサーみたいなこともやりました。



----それでは、一関市の若い人たちに、メッセージをお願いします。
ええ、ダフトパンクのミュージックビデオで「ワンモアタイム」という作品を作画した時のことです。キャラクターデザインは松本零士先生でした。私が挨拶に行った際、松本先生は自ら握手を求めてこられまして、力強く「うんっ!んっ!」とおっしゃられました。その瞬間、松本先生の言葉がテレパシーのように私の心に響いたんですよ。「少年よ! よく、ここまで、たどり着いたな」と。
----まるで、「銀河鉄道999」のセリフのようですね。
ええ、その松本先生がよく色紙に書かれる言葉が「今日の君より、明日の君はもっと強い。そう信じて、くじけるな」という言葉です。これを一関市の人たちへのメッセージとしたいです。
----松本先生らしい、素晴らしい言葉ですね。
はい、自分を高める程、わくわくする出会いがあると思うんです。何かを貫いている人はぶれていません。一関の若い人たちには是非、自己肯定感を持ってほしいですね。

----佐藤さんは松本先生以外にも、著名な漫画家の信頼が厚いですよね。ゆでたまご先生とニューヨークに遊びに行かれたり、原哲男先生に私のところへ来ないか、と言われたり、しげの秀一先生は自身の漫画のアニメ化は佐藤正樹がキャラクターデザインでないと認めない、とか。
ええ、まあ、いろいろ・・・。(笑)
----そのあたりのことは、一関市で講演していただけますか?
はい、喜んで・・・。
私は今まで、ドラマ、アニメ、特撮、音楽、小説など、多くのエンターテイメントと出会い、その出会いが私の意識を変えていきました。今は純粋に私が今まで受け取ってきたものを、多くの人にお返ししたいという気持ちでいっぱいです。
----では、最後に現在公開中の作品を教えてください。
「頭文字D 5」のキャラクターデザイン、これはスカパーで放映中です。後はパチンコ、パチスロの「北斗の拳」の全アニメーションの作画です。余談ですが、映画「テルマエロマエ」で上戸彩さんの部屋に貼られている「北斗の拳」のポスターの線画は私が描きました。

----今日はどうもありがとうございました.
いえ、こちらこそ。


※1 当時のスタジオ・ジュニオは東京芸術大学出身の香西隆男を代表として、「ドラゴンボール」「タッチ」「アンパンマン」の総作画監督、前田実、「ドラゴンボール」の総監督、岡崎稔、「アンパンマン」の総監督、永丘昭典「ゴッドマーズ」の総監督、今沢哲男、「一休さん」の作画監督、我妻宏、「エヴァンゲリオンQ」の作画監督、井上俊之など、錚々たるメンバーだった。
※2 「恐竜惑星」はロングランを重ね、主人公の萌ちゃんが、現在の「萌」という言葉の語源となりました。
※3 この女性は結婚して、現在はイギリスに住んでいます。
※4 西沢信孝、「マジンガーZ対暗黒大将軍」の監督
※5 元の名は東京ムービー新社、東映動画と並んで、日本を代表するアニメ会社

※6 少年ジャンプのアンケートシステムを考案した編集者








本年度のカンヌ映画祭では、是枝監督が監督賞を受賞した。
カンヌ映画祭で世界で初めてアニメーション作品が上映されたのは、ダフトパンクのミュージックビデオ「インターステラ5555」という作品である。キャラクター原案の松本零士氏は、カンヌ映画祭に招待され、この時初めて、海を越えた。
キャラクターデザインと作画は佐藤正樹。

佐藤正樹・・・日本が世界に誇るアニメーターである。